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ポタラ宮 Part 2ポタラ宮内の観光は、階段を登ったり降りたりするので、結構疲れるからゆっくり歩いて3時間くらいかかる。急ぎ過ぎると呼吸困難になってしまう。私は動き過ぎというよりも、お祈り廻りしているチベット人の多さに人ゴミ酔いしたのと、バターを使ったろうそくの匂いなどで息がすごく苦しくなった。 ポタラ宮の中はどの部屋も仏教の教典がしまってある部屋だったり、ダライラマが使っていた部屋だったり、大きな仏像が置いてあったり、過去のダライラマの仏像やミイラが入った石塔といわれる黄金の墓(ミイラは石の塔の中に納まってるので外からは見えない)だったり、リアリティのある宗教的なものしかない。何百年も前の建築物とか、荘厳な装飾などは感慨深いが、見ておもしろおかしいものではない。 観光しながら、ガイドのヨウさんにチベット仏教のいろいろな話しを教えてもらう。たとえば、チベット人は、現在の自分の幸せのために祈っているのではなくて、来世の自分の幸せのために祈っているという。転生を信じているので、もっとよい人間の位に生まれ変わることに努力しているのだ。ダライラマも世襲ではなく、生まれ変わりが探し出され、選ばれる。生前にダライラマが好んだ仏教用具を3点用意して、赤ん坊に選ばせるというのだ。普通の赤ん坊はおもちゃを選ぶが、ダライラマの生まれ変わりであれば、自分が使っていた道具がわかるはずだからである。 有名な鳥葬についても聞いた。やはり今でも普通に行なわれているそうで、外国人が葬儀を見れた時もあったが今は公開禁止になっているという。ヨウさんも日本人観光客を連れていって見たそうだ。身体をバラバラにして鳥に食べさせる。鳥が食べられないような大きな骨は、粉々のパウダー状にしてツァンパ(小麦粉で作ったナンみたいなもの)に混ぜて、人間が食べてしまうそうだ。ヨウさんは、その後、3日ほど食事ができなかったそうなのだが、日本人観光客たちはその日のお昼に肉が食べたいとリクエストしたそうである。 ちなみに、チベットでは四種類の葬儀があるという。一般人は、やはり鳥葬で、これは天に登るという意味があるらしい。肉体は単なる器。精神は来世にわたって生きるという考え方だから、それが当たり前なのだろう。病気で死ぬと土葬にされるらしい。もちろん墓は作らない。8歳未満で死ぬと、水葬にされるという。お坊さんは火葬。お寺の中で一番偉い人、といっても必ずではなく、相当な業績を残した人のみが活仏になれるそうだ。 私は、多くのチベット人たちが来世の幸せを信じて毎日祈り続ける姿に感銘受けた。が、同時に侵略されてしまった理由も理解した。今に興味がないのだから、国がどうなろうと良いのだろう(本当のところはわからないが)。しかし仏教の一切のこだわりを捨てるという考え方においては正しい。それがこだわりなのであれば。
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