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麺についての不満旨い麺を作るというのは、それほどまでに難しいことなのだろうか。アンモニアくさくて、食後十数時間にわたって気持ち悪さが続くような最悪の麺を使っているお店はだいぶ少なくなったが、それでもやはり(かん水の?)アルカリ臭がするところが多い。麺を持ち上げて香りを嗅ごうとすると、小麦の良い香りがまったくしてこないのだ。ラーメンにおいて、かん水は絶対に必要なものだと言われている。独特のコシと縮れをもたらすからだそうだ。しかし、香りや味という観点から言うと、(私にとって)かん水はマイナスの要因になっているような気がして仕方がない。また、アルカリ臭がしないお店もあるが、かといって小麦の美味しさが感じられるかというとまったくそうではない。ラー「メン」という限りは麺の良さに期待しているのであるが、私の少ない経験値から言うと、もしかすると、ラーメンとは麺を食わす料理ではないのだろうかとさえ思えてくる。それくらいまともな麺に出会ったことがない。 つけめんは、いくらなんでも麺を食わすものだろうという反対意見もあるだろうが、残念なことに、つけ麺でもまともな麺に出会ったことはない。しかも、麺の風味を殺すような辛いつけダレであることが多い。どういう感性をしているのだろうかと思う。美味しいセイロ(蕎麦)やざるうどんであれば、私は醤油やタレも何もつけずに麺だけで一皿食べることができるが、ラーメンにおいて、そういう秀逸の麺に出会ったことがない。小麦粉が悪いのか、粉の精製の仕方が悪いのか、こねかたが悪いのか、誰か教えて欲しい。 専門知識がまったくない素人の私が思うに、問題のひとつに大量生産ということがあげられるのではないだろうか。美味しいと言われるラーメン店を見ていると、一日に何百人ものお客が訪れるようだ。そして、スープが売り切れになると、お店も仕舞いということになる。これに対して、美味しい蕎麦屋では、麺が売り切れると暖簾をあげるお店がほとんどである。ラーメンの個性を出すにはスープが一番重要なのだから、それは当然だろうという意見もよくわかる。しかし、そんなに麺を大量に作って大丈夫なのかと心配になる。というか、この大量生産性がちゃんとした麺を作れない原因なのではないか。 いつも蕎麦とばかり比べて恐縮だが、蕎麦粉に関して言うと、機械を使ったものよりも石臼を使って挽いた粉の方が旨いとされている。機械挽きだと蕎麦が熱を帯びるため、粉の鮮度や香り、味に悪い影響を与えるからだ。だから、ちゃんとした蕎麦屋では、その日に使う分の粉だけを石臼で挽く。すでに挽いてある蕎麦粉を購入しているわけではないのだ。麺というものに対して、そこまで気を使っているのである。この点、ラーメン屋はどうなのであろうか?数百人分もの麺を作るには、機械を使わざるをえないのではなかろうか。それとも小麦粉は蕎麦粉と違って、そういうことは問題ないのだろうか。スープとの相性で麺の太さや加水率を決めるという話しは聞いたことがあるが、まず小麦粉自体にも気を使うべきなのだと思うのだが・・・ 麺の茹で方にも問題があるのではないだろうか。回転率、経済効率を優先して、小さな深ザル(振りざる)を使って同時に6人分もの麺を茹でている名店にはあきれはてる。これでは立ち食い蕎麦屋と同じレベルではないか。大きな寸胴で麺を泳がせながら茹でている良心的なお店もあるが、こういうケースにおいても、6杯も一度に作って、最初の一杯目と最後の6杯目の麺は同じ味なのかどうか心配になる。やはり、美味しさよりも、行列をさばくことに興味があるのではないだろうか。並んじゃってるから仕方がない、とでも言うのだろうか。これは十割蕎麦を出すお店で聞いた話しであるが、麺の茹で時間は9秒だと言う。1秒でも遅れると、味がぜんぜん変わってしまうそうだ。小麦の麺はここまでシビアではないだろうが、こういう風景を見ると悪い意味での大量生産店という印象がしてしまう。 ところで、ラーメンの麺は小麦粉を主体にして作られているのは周知の事実である。スープは魚介系だけというところもまれにあるが、基本的に多くの店で鶏豚牛、いずれかの獣肉系スープが使われている。個人的見解であるが、小麦粉主体の麺に獣肉系の味を合わせるのは難しいのではないか。スープの取り方が進化してコクが出れば出るほど、全体としてのバランスがくずれていくように思う。3日も麺を熟成させて味を深めたり、どの店もいろいろ工夫していると思うのだが、どうにも小麦の生麺と獣肉スープは合わないような気がする。スープに対して麺が弱すぎるのだ。だから何の麺を食べているかわからない。コクのあるスープやその表面に浮く脂によって、繊細な小麦の香りが殺されてしまっているのだ。さらに揚げニンニクや焦がした香油などを使うのであれば、もはや小麦の麺を入れる必要はないのではないか。スープ自慢の料理であるならば、麺の代わりにパンを浸して食べさせても、米を炊き込んでも問題はないように思えるのだ。逆にそっちの方が旨いんではないか?インパクトというのがどうも間違った方向に進んでいるように思えて仕方がないのだ。 獣肉スープに唯一合うと思ったのが、博多の半乾麺だ。半分乾かすことによって生まれるコクや熟成感が、獣肉スープにも負けないのだろうと思う。しかもアルデンテの状態にすると、さらにトンコツに合うと感じる。もしかすると、同じ小麦粉でも、パスタの味が脂や獣肉ソースに負けないで主張できているのはそのへんに理由があるのかもしれない。生麺と獣肉スープではこのマッチングは生まれにくいだろう。あるいは麺をパスタのようにもっと太くするか、パスタに使われている硬質の小麦を使ってみるとか。そういう工夫が必要だろうと思う。 パスタにも生麺があるじゃないかという反論もあるだろう。パスタの生麺は確かに旨い。クリームや獣肉のソースに合っている。なぜなのだろうか。それは、麺の太さがある程度あること、スープではなくソースとからめて食すこと、またパスタをフォークで回してまとめて食べること、といった食べ方が影響しているのではないかと思う。つまり、食べ方が正しいから美味しく感じられるのではないか。これに対し、ラーメンは蕎麦と同じように「すする」という食べ方をするが、コクのあるラーメンの場合、これはどうにも合わないのではないかと思う。すすることによって蕎麦やうどんの風味は活性化されるが、ラーメンの場合は麺の香りを活かさないと思う。蕎麦やうどん、あるいはパスタとはスープ(ソース)が違うのであるから、同じように食べるというのは単なる惰性であるといえるだろう。あるいは、「すする」ことがラーメンである限り譲れないものだとすると、それに見合った麺とスープを作るべきであろう。ラーメン屋は、お客様のお好きなように、とは言わず、正しい食べ方を我々消費者に提示すべきである。 問題の解決策はプロにおまかせするが、麺を食べていて、「麺を食べているこの至福の時間がもっと続いて欲しい!」という感覚にしてくれる麺が欲しい。ここまでくると個人的な好みの違いなのかもしれないが、蕎麦やうどんでは、そういうことを感じるのですよ。だけど、ラーメンでは単に麺状の炭水化物を流し込んでいく作業を繰り返しているだけに感じるのです。それでは哀しいじゃぁないですか。 |
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