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スープについての不満


 ラーメンが出てくると、まず、スープをひとくちすすってみる。周りを見てみると、私だけでなく多くの人がそうしているようだ。これはラーメンの味を決める最も大きな要素がスープであるからだろう。蕎麦やうどんのツユは程度の違いこそあれ、基本路線はどこの店も同じであるため、どんな味かはだいたい想像がつく。カツオ出汁の醤油味だ。が、ラーメンは鶏、豚、牛などがあり、たとえば同じ鶏でも使用する部位によって味もだいぶ変わってくるらしい。それに魚介系の出汁が加わり、さらに各店秘伝のタレが加わって全体の味が形成される。食べる前に、スープの味が想定つかない。それはラーメンの楽しさではあるのだが、麺がおろそかになっている理由が、そういうところからもなんとなく理解できる。スープがラーメンの根幹なのだ。

 スープと麺の相性の悪さは、先ほど述べたが、スープ単体に対する具体的な不満としては、脂っこすぎる、塩っぱすぎる、臭すぎる(トンコツ)という三大悪があげられる。ラーメンとは、かような料理なのですよ、と言われればそれまでだが、どうもラーメン屋を見ていると作っている人も食べる人も、若い人や身体の大きな人たちが多いようだ。身体をいつも動かし、汗をかいている人たちにはちょうど良い料理なのだろうと思う。だから、これはレベルの問題ではなくジャンルの違いなのかもしれない。年齢や性別、体格によって嗜好する味が異なるのは生理的な問題で、仕方のないことだからだ。若者&ガデン系ラーメンが世の中の主流でいいけれど、普段あまり汗をかかないような中年サラリーマンでも満足できるラーメンにも登場して欲しいと思うのだ。

 脂に関して言うと、ラーメンに限らず、現在の日本ではどうも脂を礼讃する文化ができあがっているようだ。確かに脂がなければコッテリ感を味わえないし、肉の軟らかさも味わえないであろう。しかし、私が言いたいのは、度を超し過ぎているということだ。背脂チャッチャとか、なんであんな脂っこいスープばっかりなのだろうか?あの脂の甘味とコクを覚えると病み付きになると言う人もいるが、それこそ文字通り、病んでいるとしか考えられない。味覚というものは不思議なもので、不健康であればあるほど、ジャンクな食べ物を求めるようになる。不幸なことに、そういうおかしなスパイラルに陥ってしまってるのだろう、としか私には思えないのであるが・・・。

 脂がなければ確かに肉は不味い。しかし、ありすぎても健康体の人間にとっては気持ち悪くなるものである。それに脂が作り出すのは、性格に言えばコクではなく、コッテリである。コクというのは、味の濃さのことであろうと、私は考える。もしこれが正しいのであれば、脂ではコクは出すことはできないはずだと思う。味の深さは、アミノ酸によって形成されるものだからである。それはタンパク質をベースにしたものであり、脂質は基本的に無味であるから、出汁のコクと脂とはまったく異なるものなのである。雑誌がラーメンを解説する時、こうした違いをちゃんと分けて説明していないから、用語の定義があいまいになりすぎている。また、こういうことに思い馳せる消費者がいないから、店側(=経営者としての)は、脂のコッテリでスープの薄さ/弱さをごまかそうとしているのではないか。そしてそういう店が増えているのではないかと思う。

 背脂チャッチャのラーメンはくどすぎるが、逆に魚介系だけのスッキリタイプのスープについては、コクがないと言いたい。とあるラーメンチャンピオンの魚貝系ラーメンを食べたが、???というシロモノであった。魚臭い。コクがない。小麦粉の麺と魚介系のスープの組み合わせということでいえば、うどんという完成形があるのだから、わざわざそういうラーメンを食べる必要がないと思えるのだ。

 次に、塩っぱいということだが、どうにもスープの塩分濃度が高すぎる。麺も塩っぱいし、スープも塩っぱい。私の舌は休まる時がない。それでも頑張れば、麺や具は食べ尽くすことができる。もちろん、その後、残ったスープも飲み干したいのだが、どうやら限界が近付いてくる。こういう時、私はどうすれば良いのだろうか。つけ麺を頼んでいなくても、割りスープをどこでも頼めるのだろうか。一見のお客で、しかも大勢の人が並んでいる場所では、なかなかそういうオーダーをすることができない。ベースとなる味は良さそうなのに、物理的に(体力的に?)飲むことができないのである。がんばって飲む時も多いが、基本的に翌日まで気持ちが悪くなる。濃いスープには、濃い塩分濃度というのは、ラーメン界の決まりなのだろうか。そうしなければ美味しくないのだろうか。素人の私には謎が深まるばかりである。

 毎日食べられるラーメンづくりをめざしている、とあるチャンピオンのラーメン屋。この店は私の知る限り、唯一、小麦の香りがする麺を作っているが、やはりスープが麺を殺してしまっているように思えたし、スープの塩分濃度が濃すぎて、毎日食べたら血管が切れて死ぬだろうと思った。地球の人口増加を防ぐことをめざしているとしか思えない濃度であった。

 臭い!ということに関して言うと、その多くはトンコツに当てはまる。あの臭みは、トンコツらしさではなくて、明らかに下処理に失敗している匂いではないのか。私にはまったく耐えることはできないのだが、九州出身の人に言わせると、どうにも堪え難いほど食欲をそそる匂いなのだという。生まれと育ちが違うということは、ここまで嗅覚に違いをもたらすものなのかと唖然としてしまう。鶏や牛骨ラーメンなどでも、嫌な臭さを感じることもある。獣肉スープにとって、それは当たり前なのか、それともスープの取り方がおかしいのか、手を抜いているのか、どういうことなのだろうか。誰か教えて欲しい。

 また、スープについて、しっかり温度調整をしてもらいたいという考えも持っている。最近は、温度と味の関係が分かってきて、かなりヌルめのスープをサーブするところが増えてきた。60℃くらいの方が、味がしっかりとわかるからである。私もこれに関しては賛成である。しかし、ヌルすぎるのも困りモノだ。食べ終わりの方になったら、あまりにヌルいので気が抜けた感じになるからだ。ラーメンは熱くないと面白みがない。経験からすると、ゼラチンやコラーゲンがたくさん入ったラーメンは口当たりがまろやかなので、少し温度が高めでも良いのではないか。ゼラチンの少ないサラサラタイプのスープは温度がそのままするどく口に伝わるので少し低めの方が良いのではないかと思う。最初の一口目にスープを飲んで舌がやけどしたら、せっかくのラーメンが美味しく味わえないからだ。それと一気に6人分くらいのラーメンを作るために、スープが冷めないように、油膜を引くお店があるがあれも考え直してもらいたいと思うのは私だけだろうか。北海道や東北に食べに行って、そういう文句を言ったら私の方がバカだと思うし、東京でそういう郷土料理を作っているお店に文句を言うつもりもない。しかし、東京に住んでる人のための、地方性のない、単に美味しさだけを求めたラーメンであるならば、あまり油膜を引く必要はないと思うのだが・・・。

 話しはさらに暗い方向へと向かう。現在でも、行列のできるお店の中にいまだ化学調味料を多用しているところがある。かたや、自然食品だけを使ってスープを取っているお店もある。こういう本来まったくジャンル/レベルの異なるラーメン屋が同じように論じられていること自体、ラーメンに対して美味追求しているものがいかに少ないか、ということを物語っているように思う。あるラーメンコンプレックスで、一日で900杯を売り上げた記録を持つ!というラーメンのスープを飲んで、驚きに驚いたことがある。美味どころか、これは単なる郷土料理の域を出ない料理ではないかと思ったのだ。ここに来たらコレだよっ!という感じで、地方で愛される分にはいいと思う。それが郷土料理というものであるからだ。しかし、全国区として純粋に味を競うという話しになった場合、なぜそういう料理がでてくるのか理解に苦しむのだ。

 同じような理由で、品質は高くないが、行列のできるラーメン屋が数多く存在する。日本のラーメンの歴史はまだ浅い。そのため、どこどこには東京とまったく違ったラーメンがあるらしいよ。とか、誰々さんがまた新しいことを始めたよ。とか、じゃぁこれは御当地ラーメンと呼ぼうとか、御当人ラーメンと呼ぼうとか、ラーメンの系譜をみんなが一緒になって発見し、作っていける喜びというのも現在のラーメン人気ができあがった理由のひとつなんだろうと思う。歴史のある、すでに確立された感のある、うどんや蕎麦にはこういう楽しみはあまりないように思える。だから、そういう意味では素晴らしいことなのであるが、そろそろ味本位でモノを語ろうじゃないかと私は思う次第なのである。

 それとこれは全くの私見であるが、ラーメン好きには、味としてのラーメン好きというより、コレクターとしての喜びを感じている人が多いような気がする。たとえば、10軒のラーメン屋を訪れ、10杯のラーメンの写真を撮ったとする。店によって器やスープ、トッピングが違うから、10枚の写真が並ぶと確かにバリエーション豊かで綺麗である。これが白身魚の寿司のコレクションだったら10枚の写真が並んでいても、あまり代わり映えはしないだろう。値段も不条理に高いし、コレクターの喜びは少ないような気がする。これに対して、ラーメンは値段的にも手ごろであるし、今なら一緒にラーメンの歴史を作っていけるし、多くのラーメンコレクターが育つような土壌があったのだと思う。これからはコレクターではなくて、味本位の本当のラーメンファンが育っていくことを祈ってやまない。

 さて、話しが少しそれてしまったが、スープの話しである。スープにこだわりを持つお店は多い。獣肉系のスープと魚介系のスープを混ぜたり、野菜で甘味を取ったり、煮込み時間をこだわったり、ものすごい工夫をしているようだ。技術も日々進歩しているという。また、先にも述べたがラーメンを食する際、まずスープをそそる人が多い。そして、前述の通り、ラーメンは麺がメインの料理ではないようだ、というようなことを複合的に考えて極論すると、ラーメンとは、スープ料理なのであろうか、という説が浮上する。だとしても、スープ料理としては、コンソメにもブイヤベースにもボルシチにも、はたまた日本料理のお椀にも遠く及ばないと思う。まだ、「中の上」というレベルを抜け出ていないのではないか。あくまで主観であるが、そう思ってしまうのである。

 では、ラーメンがスープ料理としても最高だとはいえないということになると、一体全体、ラーメンとは何を食する料理であるのか。ラーメンを食べれば食べるほどわからなくなっていく。もしかするとラーメンは今、100年の歴史を経てある程度の発展を遂げ、根本的概念の形成からやりなおすフェーズに来ているのではないか。蕎麦発展の歴史の中で、蕎麦切りという革命的な進化があったように、ラーメン界においても、まったく未知なる道へと進む革新が起こるのではないか・・・と期待しているのである。


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